素直でいられる勇気

こんばんは。

会社の飲んで良さそうなコーヒーがドリップバックしかないデオドルE浦です。

それはとっても面倒なので、ネスカフェのなんか凄そうなやつにしました。美味い。

◾言われるうちが花

社会人ともなると「言われるうちが花」などと言われます。特に、若い人に対して「注意されて不貞腐れるな。そのうち言われなくなって、自分で気付くこともできなくなって、直すこともできなくなるんだぞ」なんて言いますね。もう40にもなると、人から指摘や忠告を受けることは無くなります。理由は色々だと思うのですが、一番の理由は、言われる人が『年齢』というフィルターがあって指摘を受け入れる体制に無いから、「言われるうち」という不確かなリミットが設定されてるんじゃないでしょうか。

社会というのは面倒くさいもんで、「年齢=常識人」的な位置付けになることです。まぁ、よく知らない人をデータだけで評価するときには、年齢というのは大きな基準になるからでしょう。そのせいで、自分自身もいつの間にかそういう枠に当てはめてしまい、「40ともなればこうあらねばならない」って勝手に位置付けちゃうんです。だから、年齢とともに人からの忠告を聞き入れにくくなってんじゃないかなぁなんて思います。「40にもなって恥ずかしい」って言ってません?

そして、そういう「常識」を他人にも自分にも課すから「言われるうちが花」なんて言葉を有り難がってるようにも思うんですよね。こういう事を言う人にかぎって、「お前いくつだよ。そろそろ立派になろうな?」なんて上から目線で言ってくるからタチが悪い(個人的見解)。別に幾つになったって、学ぶことは沢山あります。知らない事の方が圧倒的に多いはずです。自分の生きてきた世界だから「こうした方がいいよね」って誰かと確かめ合えたこともあるでしょうし、相手の環境なら違った思いも生まれるはずです。

「言われるうち」というのは、素直に聞き入れる状態にある人のことを指すんだと思うんです。時間とともに酸いも甘いも経験して素直じゃなくなってしまった人もいるでしょうけど、必ずしも年齢が「言われるうち」の基準にはならないはずです。

「言われて恥ずかしい」というのはわかりますし僕もそう成っちゃいますが、勝手に年齢というフィルターで「恥ずかしい」と思うことはないんじゃないでしょうか。むしろ、歳をとって「ぎゃー」って取り乱す方が恥ずかしいですよね。

◾言えるうちは花なのか?

忠告している人も、思っても無い相手の反応があったときは、相手のことを思いやって指摘できているのか見直してみてほしいです。その指摘は相手のためなのか、実は自己満足や自己都合のために指摘していないか。指摘したとき「いやそれは」という答えが返ってきたとき、「なんで言った通りにしないんだ」ってのは、言った方のエゴになってませんか?言われた方だって、色々感じてきたはずです。言った通りにしないからとイライラせずに、放っておけばいい。

ただ、自分に不利益なことであれば手を離せば良いんじゃないでしょうか。お互い、お互いの人生に保証はできませんもの。こっちが◯なのに、相手がどうしても×を示すなら、違う道を歩けば良いんですもん。

だって折り合えないんですから。

とはいえ、それでもこちらにぶら下がってくるなら、ぶん殴りましょう。それは甘え。