五感の矛盾【ニオイ】

こんにちは。

お昼のデオドルE浦です。

東京の雨は止んだようですね。

ミンミンゼミが鳴き始めました。

■ニオイは伝わりにくい

この仕事に携わるようになってから、ニオイのことをなにかしら考えるようになりました。

ニオイを仕事として身近に置いたことで、見えなかったことが次第に見えるようになった部分があります。

身近なものなのに感じないようにしているとか、気持ちに影響があることなのにその感じをすぐ忘れてしまうとか、無形で目に見えないから、他の情報が入るとすぐ何処かへ飛んでいってしまう風来坊なヤツ。

それがニオイ。

特に目に見えないって部分では、SNSなどを駆使しても人に伝えることができません。

僕が詩人のように、巧みに言葉を紡ぐ人であれば可能かもしれませんけど、そんなに文学派ではないですし(笑)

例えを使っても、万人が同じイメージをするわけはありませんし。

ニオイはとっても伝わりにくい。

■目に見えるものと見えないものを区別する

人間、他から得る情報のほとんどは視覚だと言われています。

それを補足する形で、聴覚や嗅覚や触覚があるとかないとか。

そのせいなのかはわかりませんが、見えないものは「不確かなもの」として扱います。

全てはそこに「在ること」。

目に見えないものは、「何処かにあるんだろうな」「あったんだろうな」「誰かが持ってるんだろうな」という、推測に置き換えられてると思います。

音楽が聞こえてきたけど何処からかはわからない。

「誰かが演奏しているのかな」

カレーの匂いが漂ってきたけど、何処で作ってるかわからない。

「近所の家では、今夜はカレーかな」

箱の中身はなんじゃろな。

「いやー!なんかチクチクするー!トカゲ?」

目で確かめない限り、全部推測でしかないことになります。

僕なんて、冒頭で「見えてきたことがある」なんて言っちゃってるし(笑)

「見る」ってどエライことですね。

■五感ってみんな同じなのか

今日、会社にいてふとテラスを見た時に感じたことがありました。

「目で感じるニオイ」って、ありますよね。

あら、ない?(笑)

これは、「それを見たことでニオイを連想すること」かな、って思うんですね。

緑の木々を見て、いつか行った森を思い出し、そこで嗅いだ心地よい木の香りを思い出す。

そこに同じニオイはないはずなのに、その森で感じたニオイが鼻の奥を通り抜けていく。

目を瞑ると、そのときの森の情景が目に浮かんでくる。

科学的に言えば錯覚なんでしょうけど、あたかもそこに森のニオイが漂っているかのような気分になる。

この体験って、なんか幸せですよね。

対して、ゲロを見て気持ち悪くなるのも同じ錯覚ですかね。

こっちは不幸ですけど(笑)

五感って、全部同じレベルで機能しているように思えて、ほとんど視覚の補助装置なんですね。

■ニオイを伝える手段

先にも書きましたけど、ニオイって文章や写真だけではなかなか伝わりません。

そこにはかなりテクニックが必要なんだと思います。

どうやったら共感してもらえるのかな。

ぜんぜん見えてきません(笑)

見えてこないけど、これは確かかなぁと思うことはあります。

コミュニケーションで想いを馴染ませることはできる。

他の言い方だと、互いの最大公約数をみつけるってことかな?

「なんとしてもニオイを伝える!」ってエゴイズム丸出しになるんじゃなくて、僕は伝える準備を毎日欠かさないことが大切なんでしょうね。

というか、それしか手段が思いつかない(笑)

以上です。